💛天満天神繁昌亭のこと💛

2009.2.20

 

 

あまりにも新しく何かを書く心の余裕がないので,2008年12月の豊中市医師会雑誌に書いた感想文を再掲してしまいます.医師会の厚生活動として大阪天満にできた上方落語界念願の常設小屋「天満天神繁昌亭」観覧が企画され,息子3人と出かけていったときのものです.

 

 

繁昌亭初体験で七十五日寿命が延びた?

 

 自慢に値するかどうかは微妙ですが,私はおそらく豊中医師会の中では一,二を争う「落語通」だと思います.

 二昔三昔前,上方落語したさにこの地の大学を選び,講義実習ほったらかしで落語三昧.落語研究学部卒業,医学はクラブ活動程度といわれていました.

 とはいえ年月とともに忙しさが優り,待ち望んだ落語常設寄席の繁昌亭にも一度も行けずにおりました.そこへ今回,医師会で観賞の機会を作っていただき,初もの七十五日この度こそは逃すものかと勇んで申し込んだ次第です.

 さて当日,末娘の運動会だというのに寄席を選ぶ父は,同じく「妹よりも落語」の兄三人を引き連れ天満に向かいます.まずは玄関上の提灯を確認.我が「阪大落研」の文字がひときわ輝いていました.

寄席の中はといえば,さすが落語を聴くためにつくられた客席の配置と繭玉を並べたような天井の雰囲気は上々で,米朝さんの書かれた「楽」の額に目が潤みそうになります.ここで枝雀さん吉朝さんを聴きたかった...

 まずは医者噺「犬の目」からスタート.我々団体客に気を遣って「ヤブ」の出てこない噺を選ぶところがニクイ演出です.

 「は〜ん大(阪大)を出ている」と叫んでいた染左さんは学生時代からずば抜けてうまく,私たちにとっては宝物のような後輩ですが,(時々目がマジになることを除けば)とても陽気で楽しい「みかん屋」でした.

 次々と演じられる落語は盛りだくさんで,笑いの量も中身もさまざま個性がありました.

 子供たちが大笑いしたのは銀瓶さん「宿題」と鶴笑さんの紙切り,そして漫才の幸助福助さんでした.テレビではお目にかかることのない実力派に出会える喜びが寄席にはあります.

 私はといえば,かつて若手の頃に何度もお目にかかった噺家さんたちがお歳を召されて貫録豊かな師匠になられているのが不思議な感じで,トリの松枝さん「三十石」の船頭歌に師匠六代目を思い出しつつ,今度は娘も連れてきてやろう,とほんわかとした気持ちの中で夢の通い路,堪能いたしました.

 

 ヤレサァ,ヨィヨ〜イヨ〜ィ...

 

 

 

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